2023年9月に岸田文雄内閣の首相補佐官に起用された”やたわか”こと矢田稚子さん。
どんな学歴や経歴を辿って政治家になり、国の中枢を担う首相補佐官になったのでしょうか?
前職はパナソニックなのですが、どんな仕事をしていたのかも気になりますよね。
そこで今回は、矢田稚子さんのwiki学歴や経歴、パナソニック時代から首相補佐官までを時系列でまとめました!
矢田稚子のwiki学歴まとめ!

2023年9月に、岸田文雄内閣の首相補佐官に起用された矢田稚子(やた わかこ)さん。
国の中枢を担う重要なポジションへの任命に期待が高まっていますが、どんな学歴を辿ってきたのでしょうか?
高校はどこ?

矢田稚子さんは
大阪府立寝屋川高等学校を卒業しています!
大阪府立寝屋高等学校は、大阪府にある偏差値66の公立高校です。
矢田稚子さんは、高校生のときから非常に優秀だったことがわかりますね!
そんな矢田稚子さんの高校生時代は非常に過酷だったようです。

矢田稚子さんの両親は病気になってしまい、5人兄弟の長女のため面倒を見なくてはならず、バイト漬けの毎日だったと話しています。
両親ともに病気になってしまい、今でいうヤングケアラー。私は5人きょうだいの2番目の長女で、七つ上の兄は既に家を出ていましたから、家族の面倒をみなくてはいけなくて」。高校も奨学金で通い、学校の前も後も、新聞配達にスーパーのレジに家庭教師と、バイト漬けの高校生活だった。
朝日新聞より
バイトを3つも掛け持ちしていたことを考えると、その大変さは想像しきれませんね。
大学はどこ?

非常に優秀な高校に通っていた矢田稚子さんですが、
大学には進学していません!
矢田稚子さんは高校在学中は弁護士を目指して進学を考えていたものの、両親の病気や借金が理由で進学は断念し、高校卒業後は就職をしています。
また、当時は進学どころではなく、両親の借金を知ったことをきっかけに高校中退を考えていたようです。
しかし、学校の先生に止められたことで在学することを決意し、バイト掛け持ちの日々を過ごしていました。
高校生の頃は、何百万円もの借金が家にあると知り、学校に退学を願い出たとのこと。学校の先生に止められ、その後バイトをいくつも掛け持ちして高校をご卒業。
Instagramより
将来の夢をあきらめざるを得なかった当時の矢田稚子さんは、相当悔しかったのではないでしょうか。
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矢田稚子のwiki経歴まとめ!

ここからは、高校卒業後の矢田稚子さんの経歴をまとめていきます。
①1984年4月:松下電器産業株式会社[現パナソニック株式会社]入社
②2000年7月:松下電器産業労働組合/中央執行委員
③2014年7月:パナソニックグループ労働組合連合会/副中央執行委員長、電機連合/男女平等政策委員長
④2016年7月:第24回参議院選挙にて民進党比例区で当選
⑤2023年9月:岸田内閣の首相補佐官に起用
高校を卒業後に松下電器に入社した矢田稚子さんですが、30年以上も在籍した上に執行役員にまで上り詰めています。
詳しく経歴をみてみましょう。
①松下電器産業に入社

矢田稚子さんは高校卒業後の1984年4月に
現在のパナソニックである松下電器産業に入社しています。
入社当初は電話交換手に配属されたようですが、自分で稼ぐ意識が強かった矢田稚子さんは、30分の休憩時間に多くの資格の勉強をしていたと話していました。
一生働くには何かキャリアにつながる資格が必要と思って30分の休憩の間にみんなは漫画を読んでいたけど、私は秘書検定やらワープロ検定やら書道検定やらいろいろ勉強して取得しました
朝日新聞より
その後、受付に配属された矢田稚子さんは全従業員の顔と名前を覚え、挨拶をする際は全員の名前を呼んであいさつしたそうです!

当時は女性には名札が与えられないような扱いの中、地道に努力を続けられる矢田稚子さんはすごいですね。
受付に異動になると、全従業員の顔と名前を覚え、一人一人の名前を呼んであいさつした。そんな姿が目立ったのか、人事部に抜擢(ばってき)される。「男性には名刺があったんですが、女性にはなくて完全な補助職。そういう時代でした」
朝日新聞より
努力の甲斐あってか、受付の次は人事部に抜擢されています。
折れずに努力を続けられる矢田稚子さんの姿勢を見習いたいと感じますね。
②松下電器産業労働組合の委員に

その後、入社から16年が経った2000年7月に、矢田稚子さんは
松下電器産業労働組合の執行委員に抜擢されています。
労働組合の執行役員の役割は、職場環境に関する意見や要望を集め、職場全体の要求として会社と交渉することです。

これまで、女性の働き方に関して活動してきた矢田稚子さんですが、会社のサークル活動として会社に提言書を提出したことがきっかけで執行委員になったようです。
会社のサークル活動の一環で周囲の同年代の女性と共に勉強会を作り、日本の法律(彼女が入社した翌年の85年に、男女雇用機会均等法ができた)や海外の状況などを調べ、女性が働くための提言書を出した。すると人事部に「女性社員能力開発室」が設置され、登用された。
朝日新聞より
2023年現在は女性の働き方が変わっていますが、2000年は風当たりも違い、矢田稚子さんの活動も非常に過酷だったのではないでしょうか。
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③パナソニックグループ労働組合連合会へ

松下電器産業労働組合の執行委員に抜擢された14年後の2014年に、矢田稚子さんは
パナソニックグループ労働組合連合の「副中央執行委員長」と「男女平等政策委員長」に任命されています!
なんと矢田稚子さんは2000年に松下電器産業労働組合の執行委員に就任以来、16年間も同職を務めていたんです。
2016年から政治家として活動を始めるのですが、その2年前の2014年にパナソニックグループの労働組合連合会、副中央執行委員長に抜擢されています。
④民進党比例区で当選

2000年から16年間松下電器産業労働組合の執行委員を務めてきた矢田稚子さんは、2016年に参議院選挙にて
民進党比例区で初当選しています。
矢田稚子さんは元々政治家になるつもりはなかったようですが、周囲から勧められた際に、会社だけでなく社会の仕組みづくりをすることができるかもしれないと考え、立候補したそうです。
周囲から立候補を勧められた時に考えた。「会社に要求、協議をしても社会の仕組みにしなければどうしようもないこともある。政治家になったら仕組み作りができるかもしれない」。立候補を決めた。
朝日新聞より
組織改革に携わり続けていた矢田稚子さんにとって政治家は天職だったのかもしれませんね!
⑤首相補佐官へ

そして2023年9月15日に、岸田文雄内閣において
矢田稚子さんは首相補佐官に起用されました。
政府は矢田稚子さんに対して、国民との政策連携の仲介役を期待しているようです。
それに対して矢田稚子さんも「働く人の声を国政にしっかりとつなぎたい」と語っていました。
「働く人の声を国政にしっかりとつなぎたい」と意気込みを語った。政府は、矢田氏に国民との政策連携の仲介役となることを期待しており、自民、公明両党の連立政権に国民を加える「自公国」構想実現への布石としたい考えだ。
読売新聞より
これまでに女性の働き方や子供政策に関わってきた矢田稚子さんの、これからの仲介役としての活躍に期待が高まりますね!
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